STORY
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百年の夢 うつつ
 中庭の松の木のふもとで長老のオオシシがゆっくりと息を引き取った。長い時を共に過ごした生き物や樹木たちは思い思いの形で静かに別れを惜しんだ。

 キノボリトカゲはオオシシの肉体から生気が抜け有機物へと変化していくさまを近くから遠くから見守った。

 かろうじて生き物の気配を残していたころ、草刈りに来たアヤカが亡骸に気づき、刈った草を遺体にかけ、シークワーサーの実を供えて弔った。こんなふるまいをするアヤカはたちのいい人間でキノボリトカゲのお気に入りだ。

 かつて学校があったここの敷地は、戦禍を逃れて避難していた山から下りてきた人間たちが手作りで校舎をつくったところからはじまり、一時はショッピングモールのように賑わった。初代校長のマーニーは引退した今でも敷地の隅に鎮座している。時代が移り子供が減り、廃校になった。キノボリトカゲは子供たちがはしゃぐ声に誘われて近づいては捕まって格好の遊び道具となっていたから、人間が出入りしなくなってせいせいしたと強がった。

 生き物たちはそれなりに伸び伸びとここの暮らしを楽しんだ。春にはメジロがヒカンザクラの実をついばみに、秋にはサシバが親友のぶながやに会いに、変わらずやってきた。コジシたちは縦横無尽に穴を掘り庭を駆け、マジムンは自由に彷徨った。場をつかさどるサキシマスオウは枝を伸ばし超然と存在した。だがぶながやは、戯れる相手がいなくなり元気をなくした。

 放置された構内は荒れた雰囲気が漂った。子供たちの笑い声と泣き声を糧に年輪を刻んだ桜山の木々はさみしいさみしいと嘆き悲んだ。

 どれくらい時が経っただろう、作業服の男たちがまとまってやってきた。久しぶりのことにぶながやははしゃぎ、セーラー服を纏い虫取り網を持って一人の男の前を横切って見せた。男は目を丸くしていたが、面白がっているふうだった。筋のいい人間だとキノボリトカゲの気に入った。ぶながやは別の日に別の男の前で籠を持ち割烹着をひっかけて花を摘んでみせたが男は気が付かなかったのでふてくされて仮装をやめてしまった。キノボリトカゲはこんなやりとりに心が浮き立った。

 少しずつ少しずつ、人間が出入りするようになった。かつて子供たちがいた教室で仕事を始めた人間やそのお客さん。たまに例外もいるが、たいがいはキノボリトカゲの気に入る部類だ。きまぐれなぶながやはアヤカのようなたちのいい人間を招待したいと巣を作りかけたが、いまは火を焚くためにせっせと薪を集めている。懐かしいオオシシの記憶は時とともに大地に吸収されつつある。再び動き出した物語を初代校長のマーニーが隅から見守っている。
喜如嘉翔学校
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店主ごあいさつ
遙かなる沖縄やんばる
ぶながやが心に棲み始める日
当WEBサイトにお越しの皆さまへ。

こんにちは。喜如嘉翔学校 あるじの山上晶子です。

やんばるに暮らし始めて幾年か過ぎたある日、
ぶながやが心に棲み始めました。

ぶながやとは、この地で長いこと信じられてきた
妖怪の呼び名です。

魚の目玉が好きで、平和と自然を愛し、木材や薪を運ぶ人を手伝う心優しい存在。

村の人たちは、子どもも大人もみな、心にぶながやを棲みつかせてきたので、
ついに大宜味村も「ぶながやの里大宜味村」を宣言しました(1998年のこと)。
喜如嘉翔学校の物語
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大人たちは、首里の王様に掟破りを見つかった時や、“2号さん”の存在をごまかす時に、
ぶながやのせいにしたりして。

子どもたちは、”あちら”に連れていかれることを怖がったり、山や海でぶながやに会えないかと心を躍らせたり。

「見える」と「見えない」
「いる」と「いない」
「本当」と「嘘」の間で
心にぽかりと自由な場所をつくってくれる

そんなぶながやを、あなたの心にも棲まわせてみませんか?

喜如嘉翔学校では、そのための遊びや空間をたくさん用意して、みなさまのお越しをお待ちしています。
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